「珍しい体験は?」と言われて、何と答えればいいだろうか? これまでの人生の記憶を総スキャン&検索してみても、そんなに変わったエピソードなど出てこない…と思っていたが、ふと、思い出した。
小学3年のころ。家の近所に「本の倉庫」があった、「本の倉庫」というのは、そのまま、印刷されてこれから本屋さんに行くであろう、もしくは返品としての本が山積みにされている倉庫だった。小学3年の子どもにとって、「本の倉庫」の何が魅力なのか。そこにある「本」自体に興味などまったくない。本が小山のようにあちこちに積まれていて、入り組んだ構造の倉庫は、隠れたり、登ったりとアスレチックのようなかっこうの遊び場だった。
広い倉庫に高く本が積んであり、その本の山がいくつもある。その間隔を倉庫の奥まで進んで行ったり、本の山々を登って渡り歩いたり、さながら洞窟を探検しているような感覚で、楽しかった。もちろん本は商品、そこに土足で子供たちが遊んで良いわけがない。それこそ本が崩れて事故にでもなったら大変、今の常識で考えれば信じられないくらい緩かった。その倉庫には、そこを管理している「ヒゲのおじさん」がいた。マリオみたいなヒゲのおじさん(笑)。その「ヒゲのおじさん」は、面倒見の良い人だったと思う。子供たちが無邪気に遊んでいたことに対して、ある程度目をつむってくれていたというか、度が過ぎなければ、遊ばせていてくれた。
その日も、「本の倉庫」で遊んでいた。ヒゲのおじさんは倉庫の一角にある休憩スペースでたたずんでいた。その横には、本の積み下ろしをするための小型のフォークリフトが止まっていた。そのフォークリフトは、狭い倉庫内で作業できるよう小型で、立ち乗りで小回りの利くタイプ。動力はモーターで充電式というもの。築地のターレ(ターレットトラック)にリフトの歯が付いているような感じ。見るもの何でも珍しい小学3年の自分にとって、そのフォークリフトも例にもれず、興味津々、遊びの対象に。とはいえ、さすがに動かすわけにはいかず、充電中で止まっているフォークリフトにつかまったり登ってみたり、ハンドルをいじったり、気の向くままに遊んでいた。ただ、止まっているとは言え、スイッチやらハンドルをやたらといじるのも危険、あやっまて動きだしりしたら大変なことになる。それもあってヒゲのおじさんもこちらの様子を気にしていた。
そろそろフォークリフト遊びも飽ききてきた。フォークリフトを降りようと、取っ手につかまって、身体を少しぶらーんとさせたときのことだった。いきなり「ドンっ」と身体全体に大きな衝撃を感じた。「痛いなぁ、急に誰だー?」とそのとき思った。そして次の瞬間、今度はヒゲのおじさんが小学3年の自分を突き飛ばした。突き飛ばされた自分は、倉庫の床にペタっと倒れ込んだ。「痛ぁっ」と思いながら起き上がった。いたずらしすぎてヒゲのおじさんに怒られたのかなと思って、おじさんのほうを見ると、慌てた様子で「大丈夫か?」と声をかけてきた。ちょっと何のことかわからずポカンとしている自分。するとおじさんが言った。「感電してたんだよ!」。
フォークリフトを降りようとしたときに受けた最初の衝撃は「電気ショック」だったのだ。そのフォークリフトが充電中だったことと、塗装が剥げている金属部分を強く握りったりして密着したことで、感電したようだった。おじさんも、助けようにも感電している人を掴んでしまうと自分も感電してしまうので、僕を突き飛ばしてフォークリフトから離してくれたのだった。
「感電した」とおじさんに言われても、当時の自分はそんなに気にもとめず、「あ、そうなんだ」くらいに思って、家に帰ったのだが、そのヒゲのおじさんにしてみれば、小学3年の子どもが目の前で感電してビリビリと震えながら固まっていたわけだから、その驚きと心配は相当なものだったと思う。
ずいぶん昔の話だけど、感電の衝撃だけはまだ覚えている。ちなみにどんな衝撃だったかというと、身体全体を一気に強く叩かれた感じとでもいえば良いのだろうか…とにかく「誰かに叩かれた」と感じたのを記憶している。身体のどこを叩かれたのかもわからないけど、ありえない方向から叩かれたとも思った。
感電して無事だったということはよかったのだが、それがその後の人生の教訓や糧になったかというとそんなことはなく(笑)、自分にとっては「変わった経験」だけど、それ以上でも以下でもない。ただ「衝撃の○○」などといったキャチコピーを見ると自分の衝撃の基準が本当の感電の衝撃になってしまうので、「感電ほどては…」と斜めに見てしまいがちではある…かも(笑)。
「運がいい、悪い」のメーターがあるとすれば、「良い」にいくらか傾いたかなとは思う。(な)